自分を縛っている妄想や執着心から離れる
ひとは、日々暮らしていく中で、さまざまな雑念や執着心などが絡み合って自分本来の姿を見失ってしまいます。
いっさいの雑念や執着心から離れて無心になり、本来の自分を感じることです。
無念無想の境地になろうと思うことは執着心です、その境地になって救われたいと思うのも妄想です。
禅僧は、無心無想に、少しでも近づけたらと禅の修行をおこなっています。
自分を縛っている妄想や執着心から離れる
ひとは、日々暮らしていく中で、さまざまな雑念や執着心などが絡み合って自分本来の姿を見失ってしまいます。
いっさいの雑念や執着心から離れて無心になり、本来の自分を感じることです。
無念無想の境地になろうと思うことは執着心です、その境地になって救われたいと思うのも妄想です。
禅僧は、無心無想に、少しでも近づけたらと禅の修行をおこなっています。
自分を見つめ直し、
本来の自分を感じることで幸福になれる言葉
ひとのために生きる幸せ
暑い夏の日に、風がそよそよと吹いてきたとき、ひとは気持ちの良い一時の涼をもらいます。
風は無心に吹いているだけです。
自分の気持ち、幸せをひとに分けたいと思うことがあります。
しかし、そこにお返しを期待したり、ちょっとした優越感を味わったりすると、それは、押しつけになってしまいます。
見返りを求めたり、自己満足に浸ったりしないで、ただ無心になって、ひとに尽くすことは、自分の幸せにもなってくることです。
払い拭いて、煩悩の塵や埃をつけてはならない
ひとの心は本来、清らかなものです。
日々生活をしていると数々の邪念や煩悩や塵にまみれてしまいます。
常に汚れを払しょくすることを努めて、心を汚さないように努力することで、ひと本来の心の清らかさが出てくるのです。
すべての現象は、自らの心の現れであるとの言葉です。
幸せであると感じれば幸せになる、不幸であると感じれば不幸になるとのことです。
毎日のように遭遇する出来ごとは、いいことばかりではなく嫌なこと悪いこともたくさんあります。
それらのことをその都度、不幸だと感じていたら、
どんどん不幸になってしまいます。
いいことは、幸せを感じて、少々の嫌なことは、
不幸とは感じないようにしてみては、どうでしょうか。
絶え間ない努力は必ず実るとの言葉です。
ほんのわずかな水でも絶えずに流れ続けていると、硬い石にさえも穴をあけてしまう。
自分は成長しない、物事が思うように進まないと、よく思い悩み、嫌になったり、あきらめてしまったりします。
しかし、努力して前に進んでいる限り、遅々とした進みかもしれませんが、確実に進んでいます。
喜びに満ちた笑顔は天命を動かすほどの力があり
穏やかな笑顔の人のところには、多くのひとが集まって来るようです。
悩みごとや物事がうまくいかない時には、なかなか笑顔にはなれません。
将来は、明るいと信じて笑顔を作ってみましょう。
世の中の多くの事は、人と人の関係から生まれてきます。
暗い表情の人には、人は集まってきません、その結果、孤立してしまい、悩みごとなどが解消するどころか、どんどん増えてしまうものです。