禅の言葉 放下着 ほうげじゃく と読みます 執着心を捨てて、心穏やかに暮らす 何もかも捨てた時に悟りが得られるとの意味の言葉です。 人が暮らしていく中で、何もかも捨ててしまうことは、なかなか難しいことです、実際何もかも捨ててしまっては暮らしが成…
禅の言葉 無事是貴人 ぶじこれきにん と読みます 毎日を平凡に暮らす平穏 禅語としての「無事」とは、外に向かって求める心をすっかり捨て切ったさわやかな境涯です。 求める心を捨てるとは無気力無関心、惰性で生きろということではありません。 求める心を…
禅の言葉 百花為誰開 ひゃっかたがためにひらく と読みます。 無心の奉仕の気高さ 春になると美しく咲き乱れる花は誰の為に咲くのでしょう もちろんのこと花は誰の為でもなく、ただ無心に咲いています。 だから、素直に美しいと感じられるのです。 人も日々…
孤雲本無心 こうんもとむしん と読みます 空に浮かぶ雲のように自由に生きる 自分の自我を考えずに執着心を捨てて自由に生きること 空に浮かぶ雲は、吹く風のまままるで自由にと大空に浮かんでいます。 人もまたその雲のように、些細なこだわりや一時の慾な…
行雲流水 こううんりゅうすい と読みます。 物事に執着しないで、流れにまかせましょう 空に浮かぶ雲や川を流れる水のように、その時々の流れにまかせて進んでいくこと深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。 一定の形をもたず、自然…
寒松一色千年別 かんしょういっしきせんねんべつなり と読みます。 どのような環境でも変わらずに生きるという教えです。 松は、寒い冬も緑の葉を茂らせています。 この緑色は、千年という歳月を経ても変わることはありません。 人生には、常に楽しい時節ば…
本当の自分を大切に思うこと 人には誰しも何ものにもとらわれない自分がいます。 我々は、よく人と地位や富や容姿などを比べて、自分は劣っていると悲しんだり、羨んだりしてしまいます。 しかし、それは、表面的なもので、本来の自分は、なにものにもとらわ…
自分を縛っている妄想や執着心から離れる ひとは、日々暮らしていく中で、さまざまな雑念や執着心などが絡み合って自分本来の姿を見失ってしまいます。 いっさいの雑念や執着心から離れて無心になり、本来の自分を感じることです。 無念無想の境地になろうと…
自分を見つめ直し、本来の自分を感じることで幸福になれる言葉 ひとのために生きる幸せ 暑い夏の日に、風がそよそよと吹いてきたとき、ひとは気持ちの良い一時の涼をもらいます。 風は無心に吹いているだけです。 自分の気持ち、幸せをひとに分けたいと思う…
大自然の法則のなかで命の大切さを感じること ひとが今、存在しているには、二人の父母が必要です。 父母には、祖父母が四人・・十代遡ると1024人、二十代遡ると100万人を超えます。 心が疲れたり,すさんでしまったりした時、 この生命の奇跡的なつ…
払い拭いて、煩悩の塵や埃をつけてはならないひとの心は本来、清らかなものです。 日々生活をしていると数々の邪念や煩悩や塵にまみれてしまいます。 常に汚れを払しょくすることを努めて、心を汚さないように努力することで、ひと本来の心の清らかさが出て…
すべての現象は、自らの心の現れであるとの言葉です。 幸せであると感じれば幸せになる、不幸であると感じれば不幸になるとのことです。 毎日のように遭遇する出来ごとは、いいことばかりではなく嫌なこと悪いこともたくさんあります。 それらのことをその都…
絶え間ない努力は必ず実るとの言葉です。 ほんのわずかな水でも絶えずに流れ続けていると、硬い石にさえも穴をあけてしまう。 自分は成長しない、物事が思うように進まないと、よく思い悩み、嫌になったり、あきらめてしまったりします。 しかし、努力して前…
喜びに満ちた笑顔は天命を動かすほどの力があり 穏やかな笑顔の人のところには、多くのひとが集まって来るようです。 悩みごとや物事がうまくいかない時には、なかなか笑顔にはなれません。 将来は、明るいと信じて笑顔を作ってみましょう。 世の中の多くの…
志と共に生きる。 自分の志と共に生き続けるとの意味です。 自分の生き方に志を持つこと、そして他の要素に惑わされず、一時の欲望にも迷わないことです。 志は、ひとそれぞれで違います。 社会的には、その志の事象に上下があるかもしれません。 難しいとか…
日々の暮らしが、安らかで平穏であることを言います。 日々、その日が無事であることに感謝する。 何も心配なく、何もとらわれることない、自由な心ですごす日々、このような状態こそが幸福なのだと考えることです。 そんな日々は退屈で何の変哲もなく、つま…